幡野広志さん著「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」の紹介です。
34歳でガンになり、余命3年の診断
著者の幡野さんは写真家である。
34歳で多発性骨髄腫というガンになり、余命3年の宣告を受けた。
そして真っ先に考えたのは家族のこと。
奥さんと、幼い息子さんのことを思い、一晩中泣いたそうだ。
そして、考えた。
息子に残したいものは、なんだろうか?と。
ガンの症状の激痛のあまり、自殺も考えたこともあった。
命を絶てば、保険金が3000万円くらいはいるよなと、皮算用をした。
けれど、「残したいのはお金じゃない」お金は集めようと思えばいくらでも集められる。
それは息子にお願いしよう。
そこで出た結論は、息子に残したいのは「言葉」と感じたそうだ。
そして、息子に伝えたいことをブログにつづりだした。
手紙はなくなる危険がある。ウェブの方が保管上安全だ。そう考えウェブに記録を残すうちに反響を呼んだそうだ。
この本はそんなきっかけで生まれた。
病気になって分かること
幡野さんが病気になって、ガン患者の気持がわかったという。
周りの態度が変わったという。
周りの人は「一日でも長く生きてほしい」という願いからか、
「こうしたらよくなる」「これを試したらよくなった」などなど、
根拠もないアドバイスが次々来たそうだ。
皆それぞれ幡野さんを思ってのことなのかもしれない、けれど幡野さんにはそれが苦しかった。
彼はその行為に名前をつけた「優しい虐待」と。
そしてこれは子どもに対しても同じだという。
子どもが失敗しないようにと先回りする親について語る。
P47~
もし僕が失敗の機会を奪えば、息子は挑戦しない子どもになってしまうだろう。
失敗させず、先回りして親が「こうしなさい」を決める。
これは「優しい虐待」だ。
子どもが選んだことを受け入れ、親の価値観を押しつけないのが優しさなのだ。
小さなところで選ぶ練習が
できていない子どもは、
恐ろしくて自分で決断できない。
幸せとは?
幸せの定義について幡野さんは語ります。
P193~
「頑張って1分1秒でも長く生きてくれ」
こうした励ましをくれる人がたくさんいたけれど、抗ガン剤の副作用で苦しみ、
息子と遊べず、妻とも話せず、下の世話をしてもらって機械で生かされたあげく死ぬ人生になんの意味があるのだろうかと考えた。
それでも「長く生きてほしい」という気持ちは善意だし、僕だって妻や息子が病気になったら同じことを思うかもしれない。
その気持ちを繙いていくと、「自分が悲しみたくない」というところに着地する。
自分が悲しみたくないから、死んでほしくない。
本人の幸せを考慮したものではなく、実は利己的だったりするのだ。
「長く生きていて」というのは案外、優しいことではないのだろう。
だから息子には、いつか大切な人の病に直面したとき、「長生きしてね」とたやすく言う前に、その人の幸せの定義について、考える優しさを持ってほしい。
私自身も「長生きしてね」という言葉を安易に使ってきたと思う。
それは病気の人に対する人やお年寄りに対するキャッチフレーズの様で、
実はその人の幸せについて全く考えていなかった安易な言葉だったのかもしれない。
幡野さんの文章を読んでそう気づかされた。
どこまで自分は利己的だったんだろうと。
その人の幸せは一日でも長く生きることではなく、話せる時に話せる時間なのかもしれないし、見たい時に見れる景色なのかもしれない、おいしいものを食べることかもしれない。
幸せの定義は違うのだ。
こんな感じでこの本には命に限りがあるからこそ伝えたいこと、わかったことが、
幡野さん自身の言葉で綴られています。
人は死を意識し始めたとき、本当に伝えたいこと、残したいことが見えてくるのかもしれない。
私たちは明日が当たり前に来るかのように毎日を過ごす。
そして本当に残したい言葉よりも、相手を傷つける言葉を発してしまう。
私も知らず知らず子どもに対して「優しい虐待」をしていると感じたので反省した。
幡野さんの本を読むと、優しさであふれているせいか、私のこころにも優しさが伝わってきた。
幡野さんありがとうございます。
引用文は幡野広志さん著書「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」(PHP)より
幡野さんが残した言葉、私も受け継いで子どもに接したい。そう感じた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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