エーリッヒ・フロム書「愛するということ」です。
愛するということを読んだきっかけ
この本を読んだきっかけは、
今までたくさん本を読んできた中で、随所随所に、
フロムの「愛するということ」が時々出てきて、
脳裏にひっかかっていたからです。
本を読んでいると、いろんな作家の名前が頭をよぎるのです。
例えば、ヘミングウェイとか、リケルとか、ヘルマンヘッセとか。
こんな風に名著と言われている方々が様々な本の中で名前が出てくると私の脳裏に染みつき、
そういえばあの作家の本読んでみようかなと、
ふとした時に天からお声がかかるのです。
このフロムの「愛するということ」もそんな一つの本でした。
フロムが言う愛とは?
孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、
愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。
ところが私たち現代人は、愛に渇えつつも現実には、
そのエネルギーの大半を、
成功、威信、金、権力というような目標をいかにして手に入れるかに費やし、
愛する技術を学ぼうとはしない。
愛について語れるような私は成熟した人間ではないけれど、
人間に生まれたんだから、考えることはできる。
愛ってなんだろうか?
考えたことがあるようで深く考えたこともない問いだ。
よくある、
家族愛、母性愛、異性への愛、友達への愛、隣人愛、人類愛などなど、
「愛」について語る人は多い。
私のイメージでも愛って本能的な部分と、
構築されていく部分が大きいと考えていた。
この本を読んで衝撃的だったことは、
愛にも「技術」が必要ということをフロムが提唱していたことだ。
愛に技術?
それは何かを習得することと同じで、愛は学ぶ必要がある。
そして人は、愛されることばかりを願い、愛することを怠るという。
この本を読んでいくと、生きることが技術であるのと同じく、
愛は技術であることを知れる。
中でも母性愛と父性愛については興味を湧いた
母親の愛は本質からして無条件である。
母親が赤ん坊を愛するのは、それが彼女の子どもだからであって、
その子が何か特定の条件をみたしているとか、ある特定の期待にこたえているからではない。
母親は私たちが生まれた家である。
自然であり、大地であり、大洋だ。
父親は人間の生の一方の極、すなわち思考、人工物、法と秩序、規律、旅と冒険などの世界を表しているのである。子どもを教育し、世界へつながる道を教えるのが父親である。
この文を読んで腑に落ちることがあって、
子どもたちが赤子の時は、夫に対して不満が大きかったんです。
何もやってくれないって。
でも客観的に考えると、母親はお腹の中で一心同体で自分の体から、
もう一人の人間が育つ様子を約10ヶ月も時間をかけてきたわけで、
その思い入れは男の人とは全然違うのです。
いきなり父親になれるわけないよなって。
この人自分の子どもっていう自覚あるのかな?
と、赤子時代は不満を抱くことが多かったんですが、
最近、おや?様子が違うなと感じてきたんです。
最近の夫は自分が持っている知識を享受できるよう、
惜しみなく与える側になってきたんです。
自分が生きてきた中で見つけた真理を子ども達に伝え始めました。
それは生きるための技でもあるのです。
プールに連れて行き泳ぎ方を教えたり、
スポーツの基本は身体が柔らかいことだからと毎日ストレッチに付き合ってみたり、
子どもが側転に興味を持ちだしたら側転や逆立ちを教えたり、音楽では基礎を。
生き方では、何かあった時生きていけるよう、サバイバルのyoutubeを見せながら、
火のおこしかた、人は動物を食べて生きているということ。
水がないと生きていけないこと。
毎日毎日、自分が習得してきた技術を子どもたちに伝えています。
仕事から帰って来てから子どもたちが寝るまではそんな時間を過ごして、
子どもたちは私からではなく、夫からたくさんの知識を吸収しているのです。
やっとこの人の出番が来たんだと、最近思うようになりました。
これが彼なりの父性愛なんだなって。
フロムの文章を読んだ時、腑に落ちたのでした。
ブログでは紹介しきれないくらい、愛についてたくさん論じられています。
一回読んだだけでは難しい本でしたが、これは何度も読む必要がある本だなと思いました。
愛は、その人の人生経験が深く投影されるものなんだと思いました。
この本は若い頃に1度だけ読む本ではないことだけお伝えしたい。
若い頃に一度読み、
10年置きに読むと、この本の真価が発揮されるのではないかなと。
世界的ベストセラーの本ということだけあって、生きるヒントがたくさんつまった本です。
愛とは人間力だなと感じたのでした。
引用文は全てエーリッヒ・フロム著書「愛するということ」紀伊国屋書店より
最後まで読んでいただきありがとうございました。