本のある暮らし

人生は一冊の本のように味わい深いです。そんな日々を綴ります。

日曜日の憂鬱【エッセイ】

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おはようございます!!あやこです(^^♪

 

今日は日常の一コマをエッセイにしてみました。

お時間ある人はお付き合いいただければと思います。

 

日曜日の憂鬱

 

今日も雨かぁ。あやこはそんな気持ちで日曜日の朝をスタートした。

今年の天気は中々太陽が顔を出してくれない。

こんなに雨が続くとさすがに嫌気がさしてくる。

 

7月だというのに、秋を思い出させるようなこの寒さはちょっと異常だ。

どうしちゃったんだろうか。

七夕だというのにこれでは天の川も見えたもんじゃない。

 

晴れていようが東京では天の川は見れない。

ここで暮らす人たちは一生天の川を見ずに過ごすのだろうか。

 

私の生まれた与論島では晴れた日には満天の星空が見えた。

子どもの時にはそれが当たり前で、小学生の頃なんか、星座を勉強したらそれと同じものが空で表現されていた。

夏の大三角形。さそり座のアンタレス。容易に見つけることができた。

天の川だって見れた。流れ星だって。

空の上で塵が散らばっているみたいに降り注ぐ星空を見て育ってきた。

 

私はそんな風景を見て育ってきたんだ。

あの時はこの退屈な島を一刻も早く出たいって思っていた。

 

けれど、離れて分かった。

あの時見た、自然からのギフトはここでは当たり前じゃないってこと。

 

ここ最近の天気のせいなのか気分が乗らなかった。

やらなきゃいけない家事はたくさんある。

 

子どもたちの無邪気な笑い声を横に、スマホを開いてしまう。

現実とネットの狭間で生活する毎日だ。

私の現実はどこにあるのだろう。

 

時々全てやめてしまいたくなる時がある。

スマホがない時私何していたんだっけ?

 

たった10年のことなのに、思い出せない。

それくらいネットが私の生活を侵食していった。

 

たくさんの本を読んでも中々変われない。

根底にあるこの虚無感は何なんだろう。

 

SNSでいいねをもらっても満たされることはない。

少し時間が経っても世の中はそんなに変わることはない。

それなのにまた何かを求めてスマホのパスワードを入れてしまう。

 

「だれか私を現実の世界に戻して」そんな声が自分から聞こえてくる。

 

このネットの世界に私がいなくても何も影響はないのだ。

 

SNSの世界はその人のほんの一部の世界だ。

断片的な一コマを見て、人はその人を判断する。

みんな少なからず着飾った自分を演じている。

 

私の投稿を見て気負いする人も少なからずいるのではないか?と思ってしまう。

意識高い系ってやつだ。

 

 

正直、ツイッターでもインスタでもどうでもいいことをつぶやいていたい。

「だるい」とか「疲れた」とか。

けれど、そんなの見てもいい気分になる人はいないことを知っている。

 

けれどこの世界は何故か有益な情報だけが光を浴びる。

おもしろいツイートをしている人がバズる。

癒しのツイートをしている動物たちが評価される。

フォロワーが多い人が凄い人になる。

現実で評価されない人がネットでは評価されてしまう。そんな世界だ。

 

「本当に言いたいことはここでは書けない」

ふと、あの時読んだ小説の一説が頭を流れる。

 

ちょっと子どもたちがテレビを見ている間に寝てしまい、起きてみたら部屋が凄いこになっていた。

 

ガムテープがたくさん出され、ぐちゃぐちゃの状態だったり、

段ボールにたくさんクレヨンでお絵かきされ、クレヨンや黒いペンが床のフローリングまでついている。

 

「はぁ~」と、ため息がもれる。

 

家にいるといつもこうだ。

この行為が許せる時と許せない時がある。

憂鬱な気分の時はいつも後者だ。

なんでこんなにも子どもは予想を超える行動を起こすのだろう。

 

冷静に見ればそれは好奇心の現れで、全くもって健全なことだ。

けれど、こちら側の受け入れが出来ていない時はそれは悪となってしまう。

 

「もう嫌だ。一人になりたい」

 

そう思って夫に子どもを任せて一人で雨の中外へ出た。

 

雨の散歩だ。ひんやりと冷たい雨。

風が少し強く、雨が鞄を濡らす。

 

目的もなく歩く。無心で歩く。歩いているとまた色んな考えが巡る。

沖縄に居た時、一人暮らしの時、私は日曜日って何をしていたんだろう。

きっと退屈な日もたくさんあって、「もう嫌だこんな生活!」って思った頃もあったはずだ。

 

そこからきている感情は何だったんだろうか?

それは寂しさだったのかもしれない。

行動出来ない自分への歯がゆさだったのかもしれない。

 

気持ちがずっと一定じゃないことは知っている。

こんな日もあればやる気の起こる日もある。

これは長年生きていて体得したことだ。

けれど、こんな日は歩くに限る。

私たちは動物だから。頭で考えるより体を動かす方がいいことを知っている。

 

東京は少し外に出ればたくさんの人を見かける。

雨の中ウォーキングをしている人。

夫婦で歩いている人。

濡れながら遊んでいる子どもたち。

 

こんなにたくさんの人がいるけれど、心が通うことのない人達。

 

歩いているうちに、目的はパン屋さんに行くことになった。

子どもたちが喜ぶおやつを買おう。

結局子どもを喜ばせることが私は好きなのだ。

憎たらしいと思ったり、ギャー!!ってなることもたくさんだけれど、

やっぱり子どもは可愛い。

 

ごめんねとありがとうの繰り返しの毎日だ。

 

パンを買ったら気持ちも少し晴れやかになってきた。

 

何てことのない日曜日。

何てことのない日常。

特別なんていらない。

 

ただこうやって今を生きているだけでありがたいことだ。

沈む日もあれば上がる日もある。

 

ネットの世界から抜け出す一番の方法は外へ出て歩くに限ると私は考えている。

ネットの世界がよりどころになることもあるだろう。

けれど私たちが生きているのはこの現実だ。

 

華やかに見えるあの人の暮らしにも、きっとここでは見られない暮らしがある。

夫婦円満に見える人も。

子どもがいる人もいない人も。

 

日曜の憂鬱が少しずつ溶けていく。

サザエさんを見て憂鬱になったあの日々も懐かしい。

 

今日も一日生きた。

それだけでいいじゃないか。

意味なんてなくてもいい。何も生み出せなくてもいい。

 

ただここに生きているだけでいいんだ。

家に着いてみんなでパンを食べた。凄くおいしかった。

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1人で食べるパンよりみんなでおいしいって言いながら食べるパンはおいしい。

 

見えない誰かとシェアするより、隣にいる人とシェアする幸せを噛みしめながら甘いパンが私の日曜日の憂鬱を溶かしていった。

 

おわり。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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