おはようございます!!あやこです(^^♪
先日、小学校の先生とのやりとりの中で、ちょっとした後悔があったので、記録しておきたいと思います。
子どものの前で謙遜しなければよかった
今月始め、分散登校という形でやっと小学校が始まった。
娘も私自身も初めてのことで、緊張の6月が始まったのだ。
そんな初日、担任の先生が、「連絡帳」を返し忘れるという、
うっかりミスがあり、
担任の先生がお家に来たのだ。
コロナの影響で、家庭訪問がなくなったけれども、
ひょんなことからの、家庭訪問だ。
玄関先で、少し話せたことはラッキーだったと思う。
我が家の外に置いてある、虫捕り網やカゴの様子から、
「虫が好きなんですね~!」そんな風に言ってもらえた。
その他に、今日の様子を教えてくれて、
「○○さん、字がとってもキレイです!!習い事とかやっているんですか?」
そんな風に聞かれた。
その質問に私は咄嗟に、
「そんなことないです~。うちでは全然綺麗に書かないんですよ」
日本人特有の謙遜返答だ。
でも、事実私は娘の字がキレイな方だと思っていなかったから、
正直な答えと言えば正直な答えのつもりだった。
けれども、この会話中、「しまった!!」と、自分の中で何かがひっかかった。
だって、この会話を「娘が聞いている」から。
せっかく褒めてもらえたのに、なぜ素直に「ありがとうございます」とだけ言えなかったんだろう。
ちょっとした後悔が駆け巡った。
何かの本で読んだことがある。
子どもが褒められた時、否定する親が多いが、子どもはちゃんと聞いている。
そんな内容だったはず。
この一文を読んでから、子どもの前で否定するのをやめようって、あの時思ったはずなのに。
ついつい、日本人特有の謙遜スタイルが定着していたのだ。
もうこれは、染み付いたシミのように馴染んでいるスタイルだ。
日本人の奥ゆかしさと言えば聞こえはいいが、子どもにとっては嬉しくないスタイルなのだ。
だって、子どもはやっぱり一番認めてほしい相手は、親だと思うのだ。
公園でも度々言われる。
逆上がり出来て凄いね、二重跳びもう出来るの?
その度に、「凄くないよ~」と流してしまうけれど、
本当は違う。
娘は誰よりも努力していたから、出来るんだ。
簡単に出来たわけじゃない。
手の皮が破れるほど鉄棒は練習した。
二重跳びも毎日たくさん練習した。
努力の結果なのだ。
凄く頑張ったんだ。
よくまぁ諦めないなぁと思いながら毎日公園で見ていた。
その過程を一番知っているは、私しかいないのだ。
自分の子どもが褒められるとどうしても謙遜してしまう。
けれども、そうした場面の時、間違いなく子どもは聞いている。
そんな時、否定せず、肯定できる親でありたい。
話は変わるが、
嫌われる勇気を読んだことがある人ならビックリしたと思う。
子育てにおいては、
褒めてもいけない、しかってもいけない。
この時の衝撃は大きかった。
アドラー心理の言い分も分かる。
褒めて育てると、褒めるためだけの行動をするようになると。
承認欲求が益々強くなってしまうと。
子育てをしていると、何が正しくて何が良くないのか分からなくなる。
現場は刻々と変化をするからだ。
実践、失敗の繰り返しで、あの時こうしていたらの後悔の連続。
こうしてよかったよりも、「あの時」が多い。
それはやっぱり、後戻りする間もなく、子どもはどんどん成長し、
親の手を離れていくからだ。
なるべく後悔したくないというのが、真理である。
この出来事の教訓。
子どものことで謙遜する必要なし。
次に活かしていこう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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