はてなブログが20周年を迎えるそうだ。
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」という面白い企画を知り、
私が触れてきたインターネットのお話しをしたいと思う。
20年前のインターネット
20年前の私が何をしていたかというと、
高校3年生。
もうすぐ島を離れる。
そんな心境の多感な時期を過ごしていた。
私は小さな離島で生まれ育った。
父がコンピュータを使う仕事をしていたおかげか、
早くからパソコンを使う環境があり、
同級生の中でもいち早くパソコンを使っていたと思う。
けれど使いこなせるわけでもなく、ソリティアのゲームで遊ぶか、
当時流行っていたポストペットで友達とメールをやりとりするくらいだった。
そこから私のインターネットの世界が始まった。
初めての一人暮らし
18歳春。
初めての一人暮らしが始まった。
小さな島を離れて、少し大きな沖縄へ引っ越し、
私の心は不安と好奇心に覆われていた。
これから始まる新生活に心をときめかせていた。
けれどお金がなかった為、
インターネットとは距離を置く生活だった。
家ではインターネットを繋いでいなかったからだ。
今考えるとあの頃の5年間は一番誰とも繋がることなく、
ただ淡々と毎日を過ごし、悶々とした日々を過ごしていたのかもしれない。
上京そしてブログとの出会い
沖縄での生活を経て、東京に行けば人生が何か変わるような予感を抱えて私は上京をした。
電車なんてろくに乗ったことがない私が、
東京という巨大都市に住むことになるんなんて、
誰が想像しただろう。
私は自分の人生を自分で舵をきったのだ。
今考えると思い切りがいいと思う。
東京で生活する私は、
沖縄での生活の2倍のお給料をいただけるようになり、
欲しかった「インターネットのある生活」を手に入れた。
当時23歳。
もう携帯から気にすることなく、
大きな画面でインターネットを繋げることができるのだ。
当時流行っていたmixiにすぐ入会もした。
mixiで日記を公開し、本名も知らない会ったこともない「インターネットの知り合い」が増える高揚感を味わったのもあの時だ。
現実の世界ではうまくいかなくても、
孤独を支えてくれたのは「やさしいインターネットの世界」だったと思う。
ある日、
当時付き合っていた彼が言った一言が私をブログへの世界へと導くことになる。
「俺、実はブログ始めたんだ」
当時の私は、ブログって????
誰でも読めるインターネットの日記みたいなもんだよと、
彼は言う。
どうして、身内限定のmixiでの日記ではなく、
世界中の人が読めるブログをわざわざやるのか。
当時の私は理解出来ず、
何だか彼がちょっと遠くに行ってしまう。
そんな思いさえよぎった。
けれど彼のブログを見せてもらった時、
価値観が少し変わった。
彼の綴る文学的文章に何だか、
一種の詩を読んでいる気さえしたのだ。
当時彼は、空の向こう側の美しさについて語っていたと思う。
街の風景はどんどん変化するのに、
空の向こう側だけはいつも変わらないみたいな。
普段一緒にいる彼から醸し出さられる雰囲気とはまったく違う、
文学的一面に触れた瞬間だった。
ブログ面白そうだな。
「私もやってみたい」
私の心に小さな灯が着火した瞬間だった。
誰に読まれることのないブログをスタート
そんな当時の彼に触発されて始めた本当に最初のブログ。
この世に私の文章を発信する瞬間がきたのだ。
当時何を書いていたのかさっぱり覚えていないのだけれど、
楽しかったことだけは覚えている。
当時のアクセス数も数人単位。
たった、数人でも、
このディスプレイの向こう側で誰かが私の綴った文章を読んでいる。
そう思うだけでも嬉しかった。
ひとり暮らしを支えてくれたブログたち
私は今でこそたくさん本を読む生活をしているけれど、
あの頃程にブログを読む人生は他になかったと思う。
今思えば、
私はブログを通して文学に触れていた。
そう思うのだ。
インターネットという世界に、
溢れ出ている多くの文学。
それはキレイに綴られた文章でもなく、
誰かに読まれることを意識したSEO対策のブログでもなく、
リアルな感情が迸る正真正銘の文学だった。
無料で、しかもコンスタントに読める文学が他にあるだろうか。
ブログこそ最高の文学かもしれない。
当時の私はそんな、
感情溢れるブログにたくさん触れてきた。
それは同じ一人暮らしの人が綴るブログだったり、
小さな子育て中のお母さんのブログだったり、
ちょっといけない恋をしているブログだったり、
その瞬間瞬間に生きている人達のリアルな声だった。
一人東京で暮らしている、
心の隙間を埋めてくれたのは、間違いなくブログたったと思う。
インターネットの向こう側に生きる人たちが、
私のようにもがきながら生活している。
そんな気配を感じれるだけで、
孤独じゃないって思えた。
一日の終わりに、その扉を開けば、
あの人たちの文章が私の心を満たしてくれる。
そんな日々を送っていたのだ。
当時読んでいたあの頃のブログはもうこのインターネットの世界からなくなってしまった。
ブログを読んでいると突然別れがくる瞬間がある。
そういう場面に何度も遭遇した。
もうあの人は文章を綴ることをやめ、
現実の世界に戻ってしまったんだ。
そんな寂しさも経験した。
この世からあの文学たちがなくなってしまっても、
当時私の心を通った気持ちは間違いなく私を育ててくれたと思う。
そんなブログとの出会いと別れの繰り返しだった。
そして綴る側になった私
結婚、出産を経て、
今度はブログを綴る側になった。
当時は読む専門で、自分のブログに力を入れることがなかったけれど、
出産をし、
社会から切り離されたような感覚を感じて、
自分から溢れ出す言葉をブログに綴るようになった。
心機一転、はてなブログで文章を綴るようになった。
当時のブログは全て消してしまった。
今考えると消さなきゃよかったって思う。
もがきながらも綴った自分の文章。
それは生きた証だったから。
そして、ブログを読むことが少なくなり、
今は本を読む生活になっている。
今考えると、あの頃読んでいたブログは本当に楽しかった。
多くの感情が吐露された世界がそこにあった。
最近はそういった面白いブログに出会えることが少ない。
あるのかもしれないけれど、
自分のアンテナの感度が鈍ったせいか、
出会えない。
けれど、私はあの頃たくさんのそういった面白いブログがこのインターネットという世界にたくさんあったことを知っている。
だから、私の原点は、
誰かがこのブログを読んだ時、
「自分だけじゃないんだ」
そう思ってくれるようなブログを綴りたい。
名前も知らない会うこともない、インターネットで繋がる人達の、
心をスッと素通りするけれど、
何か少しだけひっかかる文章を綴れたら、
そんな風に思う。
丁寧に誰かの文章を読む、
心の余裕が皆なくなっているのも事実。
あの当時は誰かの文章をゆっくり一文字一文字読む余裕があった。
今はどうだろう。
ブログもただの流し読みにされる存在ではないだろうか?
たった一人でもいい。
誰かの心に留まる文章が綴れたらって思う時がある。
私の20年は、
インターネットという文学に触れることで、
言葉を貪るように浴び、
そして、インターネットを通して、
言葉の思いを吐き出す。
そんな20年だったように思う。
私のブログのタイトルにあるように、
人生とは一冊の本のように味わいがあるのだ。
そんな人生という文学を今後もこのはてなブログを通して、
残していけたら。
そんな風に思う。
今日も明日も、インターネットという世界は文学で溢れている。
なんて素敵な世界なんだ。
最近ゆったり誰かのブログを読む時間ってなかった。
もっとブログを読みたい。そして綴りたい。
私はブログの世界が大好きだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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