昨日数か月ぶりに本屋さんへ足を運びました。
図書カードが5千円分手元にあるので、
ビビッときた本があれば、
購入するぞー!!
そんな意気込みでいざ本屋さんへ。
久しぶりの本屋さんだったので、
ワクワクしながら店内に入りました。
私は本屋さんへ行くと、
小説からビジネス書、実用書と、
くまなく店内を一通り見ます。
それを3周くらい繰り返しました。
でもですね、
ピンとくる本が中々見つからないんですよ。
店内を見て思うことは、
あ、この本読んだ。
これも読んだ。
へー、この本文庫されたのね。
などなど。
↓最近文庫化された本といえば、「香君」でしょうか。
こういっちゃなんですが、
既に読んだ本ばかりが目に付くのです。
↓未だにビジネス書のトップに入っているのですね。
確かに良書なのでおススメです。
ビジネス書においては、
どれも似たような内容で、
結局行動できなきゃ意味がないんだよね。
って、思ってしまうのです。
その時読めば、やる気はでるのは確か。
けど、いつもの自分に戻ることももうとっくに知っているのです。
ビジネス書や自己啓発本は栄養ドリンク。
今流行りの本もその時だけで、
読み継がれる本はいったいどれだけのことでしょう。
似たような結末や、ハッピーエンドの本を読みすぎたせいか、
流行りの本には物足りなさを感じてしまうようになりました。
なんという贅沢でしょう。
本を読めば読むほど、
私は偏屈になってしまったのかもしれません。
30代の頃は、
読む量も少なく、
次から次へと貪るように枯渇して読んでいた本でしたが、
限界地を超えたのかもしれません。
好奇心が薄れた?
年を重ねたということはこういうことなのでしょう。
現実世界が悲惨すぎて、
本の世界のように、
幸せになんかなれないよという思いが強くなったのも事実かもしれません。
平凡に生活していただけなのに、
突然地獄に突き落とされる現実を経験してしまえば、
世間の見え方が変わってしまうのです。
けれど、
子どもの死を経験し、
他の人より気持ちが切り替えられるのは、
やはりたくさんの本を読んできた経験が活きているのも事実。
本を通してたくさんの悲しい出来事を疑似体験してきたからです。
世の中というものごとを、
何となく体現してきたからこそ、
人生とはそんなものだと思えるのも事実。
本はそこで物語は終わってしまうけれど、
自分の物語は命ある限り続きます。
惰性で本を買いたくなかったので、
本屋さんでは結局何も購入しませんでした。
消化不良だったので、
図書館にも足を運びました。
けれど、やっぱり本屋さんと同じで読みたい本とは出会えませんでした。
今はそういう時期なのかもしれないと思うことにしました。
世の中には、
本を読まなくても幸せな人がたくさんいます。
現実に満足していないときこそ、
私は現実逃避をします。
本の世界にどっぷりつかっていた時期は、
現実逃避が強かったのかもしれません。
それは今でも進行中です。
今はAmazonで手軽に映画やアニメが見れるので、
最近は逃避場所を本からメディアに変えただけのような気がします。
多読の時期からはもう足が遠のきました。
たくさん読むことより、
一冊の本をじっくり味わいたい。
そんな本を求めています。
今朝、ラジオで一か月に本を1冊も読まない人は60%以上と言っていました。
その理由としては、
SNSで情報を追うことに時間をとられて暇がないとのこと。
これが現実なんですよね。
SNSをやっても満たされることはないです。
本も映画もしかり、
多くの本や物語を体験したからといって満たされるのは、
一瞬の刹那的なこと。
でもその一瞬の逃避は、
今日の一日を生きる上で大切なことも事実。
私は毎日、
ただ今日を生きよう。
そう思いながら過ごしています。
無駄な時間でもいい。
その時だけ、数十分、数時間、
何かに没頭できる時間があればそれでいいと思うのです。
その時間が、悲しい気持ちではなく、
ワクワクしたりドキドキする時間であればよいですね。
また読書が出来るようになったらこのブログにも感想を綴りたいと思います。
今は「天官賜福」という心のよりどころになる、
壮大ファンタジーのおかげで、
今日を生かされているのです。
英語版5巻が早く届かないかなと待ちわびています。
以上、久々に本屋さんと図書館に行ったのに、
何も買わなかった&借りなかった。
どうしてそう思ったのかを綴りました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。