おはようございます。
1冊読み終わったので感想を綴りたいと思います。
今日ご紹介する本はこちら。
順番としてはこちらから読んだ方がより楽しめたと思うのですが、
間違って上記から先に読んでしまいました(;・∀・)
この本の説明
上巻
もう続きは書かないかもしれない。
合作小説の続編に挑んでいた売れない高校生作家の一也は、
共作相手の小余綾が漏らした言葉の真意を測りかねていた。
彼女が求める続刊の意義とは・・・。
その頃、文芸部の後輩成瀬は、
物語を綴るきっかけとなった友人と苦い再会を果たす。
二人を結びつけた本の力は失われたのか。
物語に価値はあるのか?
本を愛するあなたのための青春小説。
下巻
あなたのせいで、もう書けない。
親友から小説の価値を否定されてしまった成瀬。
書店を経営する両親や、
学校の友人とも衝突を繰り返す彼女は、
物語が人の心を動かすのは錯覚だと思い知る。
一方、続刊の意義を問う小余綾とすれ違う一也は、
ある選択を迫られていた。
小説はどうして、なんのために紡がれるのだろう。
私たちはなぜ物語を求めるのか。
あなたがいるから生まれた物語。
「小説の神様」
タイトルだけでもう、本が好きなら読んでみたい、
惹きつけられます。
相沢沙呼さんの本を今まで2冊読んで、
とてもよかったので、今回読んでみました。
最近読んだ相沢さん作品はこちら↓
心に残ったこと
上巻
P163~小余綾詩凪は、読書には読み手の能動的な協力が必要不可欠だと言っていた。
理解しようと読み解かなくては、
他者である物語世界の登場人物を理解することは叶わない。
観客席に腰掛けて、ただ舞台を眺めているだけではだめなのだ。
共に舞台に立ち、登場人物と身体も心も一体化してもらう必要がある。
どんなに優れた筆も、読み手の想像力を借り受けなければ、
物語の世界に誘うことはできないからだ。
自分が同じ立場だったら、なんてきっと欠片も考えない。
とても遠い世界の出来事を、客席に座って眺めているだけ。
それが、今の読書のやり方なのだ。
同じ本を読んでも感じ方が違うのは、
読み手の読み解く力や、感受性の違いがあるからだと思う。
この内容は読み手側の能力の欠如を伺える内容でドキッとさせられた。
そして「今の読書のやりかた」は、
ただ流行りの本を読んで、「おもしろかった~」で終わっていないだろうか?
エンターテイメントの一つに本がなっているのでは?
そんな風にも感じたのでした。
下巻
P190~暫く、なにもかも忘れて、夢中でページを捲っていた。
一度読んだことがある物語だというのに、
ページを捲る手が止まらなかった。
初めて読んだときには感じなかったものが胸の奥から溢れ出してくるのを感じる。
最初のときには気づけなかったことや、違った意味に見える言葉も多い。
初めて読んだとき、こんなにも胸が震えていただろうか。
読書って不思議だと改めて感じた。
自分の心の状態に、こんなにも左右されるなんて。
これも読書の醍醐味だなぁと共感。
そうなんですよね。
あの時感じなかった感情が、時を経て違う感じ方をするんですよね。
経験則によって大きく変わるのも読書なんです。
感想
物語を紡ぐ側の苦悩が伺える内容だった。
最初はただ書くだけが楽しかった作者たち。
けれど、そこに読み手と言われる「読者」の存在により、
その、ただ書くだけの行為は、
義務的に、読者が喜ぶような内容を考えざる負えなくなってしまう。
読者は、刺激を求めている。
あっと驚くよなとか、感動とか、震えるとか。
そういう本がよく売れることもまた良く知っているから、
帯コメントもそういった言葉で昨今は溢れている。
私は何のために物語を読むのだろう。
ただ読みたいから読んでいるのかもしれない。
欲張りだから、好奇心旺盛だから、
もっと知らない世界を知りたい思いが強い。
人生は一度きりだけれど、
読書を通して私はどんな人にもなれる。
そんな体験を知ってしまったから、やめられないのだと思う。
読者のリテラシーが下がっていることを示唆される描写に、
ザワついた。
ネットでもよく見かける。
「おもしろかった」の一言はまだいい。
「つまらなかった」「金返せ」「時間を返せ」
こんな言葉はやっぱり私も見たくない。
そして、物語を読むというのは、
現実世界で関わる「人」を読み解く行為でもあるのだ。
たくさん本を読んでも現実世界ではそう簡単に変われない。
現実世界の人達の物語をしっかり読み解くことが出来たなら、
自分の物語に光を射すことができるんじゃないかなと思った。
物語について色々と考えさせられる1冊だったのでした。
以上、相沢沙呼さん著書「小説の神様 あなたを読む物語」を読んだ感想でした。
引用文は全て本書より
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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