本のある暮らし

人生は一冊の本のように味わい深いです。そんな日々を綴りたいと思います。

「ここ」と「どこか」で揺れ動く不思議な物語。高楼方子さん著書『ルチアさん』を読みました。

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おはようございます!!あやこです(^^♪

 

インスタグラムでフォローさせていただいている方が紹介していた本で、

おもしろそうということで手にとった、高楼方子さん著書『ルチアさん』の紹介です。

ネタバレありです。

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あらすじ

 

もうずいぶん昔のことです。

あるところに“たそがれ屋敷”とよばれている一軒家があり、

奥様と、ふたりの娘と、ふたりのお手伝いさんが暮らしていました。

 

ふたりの少女の家にやってきた、あたらしいお手伝いのルチアさん。

ふたりの目だけ、その姿がぼうっと光かがやいてうつるそのわけは

 

謎が時間を超えて継がれていく風変わりなものがたり

 

この本を読んで

 

久しぶりに読んだ児童文学ですが、一気に物語に引き込まれました。

ふたりの少女、スゥとルゥの目にはお手伝いのルチアさんが水色に光って見えるのです。

 

その光る様子は、二人がお父さんから遠い異国でもらったという、水色のまあるい宝石とそっくりだったのです。

 

ルチアさんがなぜ水色に光って見えるのか?

その謎を解くために、二人はあぁでもない、こうでもないと奮闘します。

 

そしてやがてそんなことも忘れ、スゥとルゥは大人になるのでした。

 

この本で伝えたかったことは?

 

自分なりにこの本の伝えたかったことを考えてみました。

 

~P146~

 

母の心を満たしていたものは、「どこか遠くのきらきらしたところ」だったにちがいありません。

そのような場所が、からだの中に溶け込んでいたからこそ、つねに静かな喜びとともにいられたのだ、そう思うのです。

 

母は、「ここ」に根をおろし、毎日たんたんと働きながら―

 

それはもう、はずむように働いていたのです。

それは「ここ」にいながら、同時に「どこか」にもいる、ということにほかならないでしょう。

そういう人であってみれば、「どこか」にこう焦がれる必要など、あるはずがないのです。

 

 

ルチアさんは日々淡々と過ごしていました。

嫌な事があっても愚痴をこぼすことなく。

 

ルチアさんが輝いてみえたのは、「ここ」にいながら「どこか」を思う綺麗な心を表現していたのかもしれません。

 

「ここ」に居ながらも「どこか」に焦がれて、心が荒む人もいます。

私自身、「ここ」に居ながらも「遠いどこか、遠い誰か」思ったり、羨やんだりすることがあります。

 

けれど、楽しい「どこか」を考える時は心が弾むんです。

たとえば、あのお店に行っておいしいケーキを食べたいって。

こんなところに行ってみたい。

そう想像している時はとても楽しい。

 

けれど、誰かを羨ましがったり、「ここに居ないどこかの誰か」と自分を比べる時は、心は満たされません。

 

生きていく中で誰もが感じる、「ここ」ではない「どこか」それは過去であったり、未来であったり、その「どこか」への感じ方次第で人は輝くということを伝えたかったんじゃないのかなと思いました。

 

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児童文学って大人が読むべき本かも

 

児童文学、奥が深いです。

 

抽象的にこれですよとは伝えてくれません。

この本の言いたいことはこういうことなんじゃないだろうか?

何となく、その伝えたいことが、うまく表現出来ないけれど伝わるものがあります。

 

子どもの時には感じることの出来ない、経験したからこそ伝わる何かが眠っています。

 

児童文学を書いているのは大人ですから当然ですよね。

 

児童文学侮れないです。奥深い。

 

今回の本、「ルチアさん」もそんな本でした。

そして素敵な色遣いの絵だなと装丁を見て思いました。

 

本は一種の芸術だと感じます。

 

また他の児童文学を読んでみようと思います。

 

引用文は全て高楼方子さん著書『ルチアさん』(フレーベル館)より引用

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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