益田ミリさん著「永遠のおでかけ」の紹介です。
益田ミリさんのお父さんが「永遠のおでかけ」をしたお話が淡々と綴られているエッセイ本です。
訃報は突然やってくる
先週末のこと、突然の知らせがきました。
それは弟のお嫁さんのお父さんが亡くなったという知らせでした。
義理の妹ちゃんは東京の出身、つまり、お父さんも東京に住んでいたのです。
そんな知らせと共に、弟夫婦、私の両親が急遽上京することになりました。
妹ちゃんは早くにお母さんを病死で亡くし、今度はお父さん。
どんな気持ちだろうと、想像しても私には耐えがたい悲しみの最中なんだろうなと感じました。
私の両親はちょうど今月末に東京に来る予定だったんですが、まさかこんなに早く会えることになるとは。
というわけで、先日受験した検定試験の後に、両親と再会をし、翌日一緒に葬儀に出席してきました。
人の訃報は本当に突然やってきます。
そう、いつも突然です。
ちょうど13年前の今頃、従兄弟が交通事故で亡くなったことを思い出しました。
当時高校を卒業したばかりの18歳。今生きていたら31歳です。
葬儀というものにあまり出席したことがなかった私ですが、
初めて身近な人の死を見たのは、従兄弟の死でした。
こんなにも人は簡単に逝ってしまうものなのか。
若い従兄弟の死は、まだ人生経験も少なかった私には強いショックでした。
当時沖縄に住んでいましたが、すぐに飛行機に乗り、はるばる神奈川県まで行ったことを覚えています。
私は従兄弟の死をきっかけに、生きているうちにやりたいことやらなくちゃと強く思い、その年に上京したんです。
同級生が自ら命を絶ってしまい、同級生の最後を見送ったこともあります。
そんな風に20代はちょっと特殊な「永遠のおでかけ」を見送る経験をしてきました。
もちろん、その中で、命を全うした祖母、そして去年は祖父が亡くなりとそれなりに「見送る側」が増えてきたように感じます。
益田ミリさんの本の中から
P72~
今夜、わたしが帰るまで、生きて待っていてほしかった。
母から電話を切ってすぐはそう思ったのだが、新幹線に揺られる頃には、
それは違う、と感じた。
これは父の死なのだ。
父の人生だった。
誰かを待つとか、待たぬとか、そういうことではなく、父個人のとても尊い時間なのだ。
わたしを待っていてほしかったというのは、おこがましいような気がした。
悲しい。
涙は次から次から溢れてくる。
なのに、いろんなことを並行して考えているわたしもいた。
悲しみには強弱があった。
まるでピアノの調べのように、わたしの中で大きくなったり、小さくなったり。
「待っていてほしかった」という気持ちは、
そうか、自分側の都合の気持であって、
その人の尊い時間だったんだ。
この一文を読んで、涙が溢れました。
誰もが経験でするであろう、親とのお別れ。
そして今回の妹ちゃんのお父さんのお別れ。
彼女は今、お父さんとの最期の時間を過ごしているんだ。
そっと、遠くから見守ることしかできず、かける言葉もみつからなぬまま、
葬儀を終えました。
今回はこの本を読み終えていた後の出来事だったので、
重なる部分がありました。
けれどもこの本にも書かれているように、
大切な誰かが「永遠におでかけ」をしても、
残された人の心の中にはいつまでも生き続けるし、
ふとした瞬間にいつでも思い出したり。
淡々と日常は過ぎて行くんだなということが分かります。
人生って本当に一瞬なんだなと感じました。
今回の件もあり、自分の葬儀を想像してみたりしました。
自分が永遠のおでかけをしたとき、
残された人の心に、
一緒に過ごしたたくさんの思い出が残されていればいいなと感じました。
そして突然何かあってもいいように、
今管理しているたくさんの情報をどこかに記しておく必要があるなと感じました。
「永遠のおでかけ」
これからも見送る立場が多くなるなる年齢になりました。
子どもを産み、生を経験し、そして終わりを見る。
命の循環を肌で感じるのでした。
大切な人が永遠のおでかけをしてしまった。
そんな人に優しいタッチで語る、こちらのエッセイは、
気持ちに寄り添ってくれると思います。
そんな人に読んでほしい一冊だなと思いました。
久しぶりに家を長時間開けた、葬儀中の一日は不思議な気持ちでした。
20代の頃行ったことのある沿線を通ったり、
帰宅ラッシュの電車の異様な雰囲気を味わったり、
本当毎日電車通勤している人を尊敬してやまないと同時にみんなこんな生活毎日楽しいの?と思ってしまったり。
ゲームやっている人の多さもちょっとビックリしました。
本を読んでいる人も見かけて安心しました。
妹ちゃんの悲しみはまだまだ癒えることはないだろうけれど、
弟と仲が良く、しっかり寄り添っているのできっと大丈夫だろう。
と感じる姉なのでした。
弟と結婚してくれてありがとう。
弟と出会ったから、遠い遠いところへ嫁ぎ、
お父さんの最後を看取れなくてという気持ちもあったと思う。
それは私も遠い先、東京に来たばっかりに最後を看取れなかったと思うことになるのだろうか。そんな風に思うのでした。
両親に私は何が出来るのかな?
やっぱりたくさん帰って元気な顔を見せることが一番かなと思いました。
引用文は全て益田ミリさん著書「永遠のおでかけ」(毎日新聞社出版)より
最後まで読んでいただきありがとうございました。