おはようございます!!あやこです(^^♪
やましたひでこさんの本です。
ただ捨てる片づけ術じゃない
私たちは「不足」という困難で悲惨な状況下ではなく、
「過剰」がもたらす不幸の中を生きていかなくてはならない運命にあることを、
もはや、見誤ってはならないところまできている。
けれど、この過剰な不幸ほど、意識するのが難しいことはなく、また、それによって、
本当に大切なモノ、コト、人間関係を見失わせているのです。
「捨てる」とは、生きていくための必要不可欠な営み。
すなわち、捨てなくては、生活も仕事も滞り、もちろん、人生までも立ち行かなくなることを、しっかり踏まえておくべき。
親のそのまた親の世代はモノがない時代でした。
そんな親世代に育てられた私たちの親世代はモノを大切にしなさいと教え込まれた世代です。
そんな親世代もまた私たちにモノを大切にしなさいと教えます。
けれど今はどうでしょう?
モノも食も、人間関係も飽和状態。
本当に必要なモノなのか?本当に必要なコトなのか?
たくさんの溢れるモノやコト人間関係は私たちを麻痺させます。
私がなぜこのような本を読むかというと、まだまだ、モノに対しても、
コトに対しても、人間関係に対しても、
自分が心から、「心地よい」「快」を得ていないからです。
気づいたら、色々な物事に飲み込まれていき、ただ流されるままに生きている感覚があります。
立ち止まってふと周りを見渡す時間さえないような気がするのです。
自分ひとりの分なら調整できていた一人暮らし時代。
価値観の違うもう一人の人間と暮らし、そして生まれた子どもたち。
生きていく人数が増えると自ずとモノも増えます。
仕事ではどうでしょう。
モノが捨てられない夫の両親。
開業時代からの捨てられない書類が山のように積み渡っています。
保存期間はとっくに過ぎているのに、「不安」から捨てられないであろう、
もう二度と見返すことのない書類たち。
何が必要で何が大事なのか見えていない。
整理したいけれど、毎日の業務に追われる日々。
自分の手元だけは整理出来てきたけれど、見渡すと同僚たちもその感覚が鈍っているようで、思い通りに出来ない歯がゆさも感じます。
人のことは口出しできないのでとりあえず自分が出来る範囲で整理中です。
家庭、仕事、自分自身。生きる上で「捨てる」は必要不可欠な行為だと私自身思っています。
この本はそんな生きていく上で必要な「捨てる」によって、
変化の激しい時代を生きていく指針を示してくれる内容になっています。
情報の飽和の時代
今の時代で一番飽和しているものと言えば「情報」これではないでしょうか?
スマホの普及で私たちの生活はガラリと変わりました。
スマホがなかった時代に比べて「情報」に触れる時間が圧倒的に多くなった気がします。
毎日洪水のように溢れる「情報」それって本当に求めている情報なんでしょうか?
目に見えるモノと同じで私たちは、頭の中が「情報」でいっぱいになっていることを気づいていないように感じます。
時々思うんです。
これは私の思考なのか?それともあの時目に触れた誰かの思考なのか?
あの人がこう書いていたらからそれが正しいと思い込んでいないか?
使ってもいないのに、あの人がいいと言っていたからこれはいいに決まっていると思い込んでいないか?
自分の頭で生きるのではなく、人の思考で生きている感覚がするのも私自身否めません。
情報に関してやましたさんはこう語ります。
P162~
目に見えない。家にうず高く積まれた不要・不適・不快と同様、
いやそれ以上にあなたの精神に「詰まり」を生み出してしまうでしょう。
今の自分にとって必要な情報を厳選し、じっくり咀嚼し、自己化しながら
アウトプットも続け、いらない情報はバッサリ捨てる。
「出口を意識してインプットする」
「出口がなければインプットしない」
情報は出口を意識してインプットする。
これは本の読み方と同じですね。
私も読んだ本はアウトプットを意識して読んでいます。
どんなつたない言葉でも一度取り入れた情報を外へ出すを意識しています。
そうすると頭の中がスッキリするのが分かるのです。
ノートであったりブログであったりSNSであったり、
アウトプットを意識しています。
家、仕事、食、人間関係、情報、この飽和な時代。
流されるのではなく立ち止まり自分にとっての、
「要」・「快」・「適」をしっかりと見極めて生きていきたいと私も思いました。
まだまだ発展途上で試行錯誤中です。
引用文は全てやましたひでこさん著書「捨てる。」(幻冬舎)より
ただモノを捨てる片づけの本ではないです。
生きていく上で必要な「捨てる」がつまった本、気になる方は読んでみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。