1冊読み終わったので、感想を綴りたいと思います。
本日ご紹介する本はこちら。
幡野広志さん著「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」です。
「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」の本の内容
幡野さんが、病気を宣告された時のこころの状態、
その時感じたこと、自殺を考えた時のこと、
病気になって見えたこと、感じたこと、
たくさんの人に取材した時のこと、安楽死について、などが丁寧に綴られています。
読みだしたらページをめくる手がとまりませんでした。
静かに語りかけてくる本ではあるけれど、でも確かに心に突き刺さる本でした。
私の中では今年一番、読んで心に深くきた本です。
幡野広志さん著書『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために』一気に読みました。
— あやこ (@genko_library) 2019年6月9日
今年読んだ本の中で一番心にきた本でした。
子育て中の人、親との関係性で苦しんでいる人に読んでほしい一冊。
私は親に甘えられなかった。みんな何かしら抱えながら生きて、親になって分かることがある。
この本を読んで印象に残った箇所をシェアしたいと思います。
達観とあきらめのあいだで
P49~
後悔はなにも変えてくれないのだ。
だからぼくは、意識的に過去のおこないを振り返らなかった。
「どうして、がんになったんだろう?」という問いは、ほぼ間違いなく「自分のなにが悪かったんだろう?」という自責に姿を変えていく。
なにも悪くない。ただ病気になっただけの自分を、いたずらに追い込んでいく。
そんなことに時間や体力を費やすなんて、あまりにもばかばかしかった。
「がん」と宣告を受けた時、私たちには選択肢がたくさん用意されています。
例えば、
後悔することに時間を費やすか(そこから何が得られるだろうか?)
これからのことを考える(残された時間にフォーカスする)
そう、どんな状況でも私たちは「選ぶ」ことが出来るんですよね。
「悩み」を作り出すのはいつも自分が「選んでいる」からなんだということが分かります。
幡野さんはそこで、「後悔」を「選択」しなかった。
きっと多くの人は「後悔」に時間を費やしてしまうかもしれない。
私もそうです。
でも、選択肢は他にある、「選べる」ということを感じました。
自分の人生を変えるために
P111~
がんでも、ほかの病気でも、あるいは事故死や自死(自殺)でも、残された遺族はいつもそこに「理由」を求める。
わたしが悪かったのだと自分を責めたり、あの人のせいだと身近な誰かを責めたりして、
いつまでも家族の死を抱え込む。
ほんとうは誰のせいでもない自然の摂理なのに、誰かを責めずにはいられなくなる。
きっと、ぼくがいなくなったあともそうだろう。
これが誰のせいでもないこと、間違っても妻や息子のせいではないことを、はっきりさせておく必要がある。
遠くの誰かではなく、身近な誰かから責められることがないように。
私たちはいつも「理由」探しをしていることを気づかされた箇所でした。
私は従兄弟を交通事故で亡くしていますが、その時祖母がとった行動は、沖縄のユタに話を聞きに行ったのでした。
それは何か悪い「理由」があったからではないか。
そんな気持ちで、祖母は度重なる身内の不幸に「理由」を求めて苦しんでいました。
その時ユタには、「先祖のお墓が壊れている」と言われたそうです。
実際荒れていたそうですが、それはただ単にお墓参りを怠っていたからに過ぎないと私は思いました。
きっと藁にもすがる思いだったんでしょうね。
亡くなった孫はもう戻らないのに、何かに理由をつけたかったんだなと。
この箇所を読み、凄く納得したのでした。
家族とは、選ぶもの
P135~
取材のなかでぼくが耳を傾けていたのは、病気の話ではなあった。
がんの話でもなく、死ぬということの話でもなく、最新医療や医療制度の話でもなかった。
ただただぼくは「人間関係」の話に耳を傾け、とくに「家族」の話に耳を傾けていた。
それはもう、どんな種類のがんであろうと、あるいはいじめや引きこもり、依存症などであろうと、同じだった。
生きづらさの根底にあるのは人間関係であり、家族だった。
幡野さんが30名近くの人に取材した中で、わかったことは、みんなが生きづらさを感じている根っこは「家族」というこの事実。
私はこころがざわつきました。
一番、大事大事と言われ続けられてきた「家族」が生きづらさを生んでいるとは。
「そこに生まれてしまった以上、永遠に逃げられない場所」
だなんてありえないと幡野さんは語ります。
自分の家族も、自分で選べるんだよ!!
幡野さんの思いが伝わる箇所でした。
私たちは結婚することで、また一から家族を作り直すことができます。
そして子どもを産むと、親にしてもらいたかったこと、こうしてほしかったとことを、
こんな家族になりたいと理想を掲げながら、「家族」をつくっていくのです。
私もそうで、子どものころこんなことをしてほしかった、こんな家族に憧れた、
そんな気持ちを持ちながら子どもにも夫にも接しています。
けれどその理想が強ければ強いほど、押し付けてしまいがちなので、
ふと立ち止まったり、自分はどんな家族を築き上げたいんだろう?と考えます。
ただなんとなく過ごしていくと、結局やっぱり自分の親と同じようなことをしている気がするのです。
それは自分の家族しかしらないからだと思うのです。
そこで、どう「選ぶ」かで家族の在り方も変わってくるんだなと。
最後に幡野さんが導き出した「生きるとは?」
P201~
生きるとは「ありたい自分を選ぶことだ」
進路でも、仕事でも、就職先でも、住むところでも、パートナーでも、なにかを選びはじめたとき、その人は自分の人生を歩きはじめる。
誰かに奪われかけた自分の人生を取り戻す。
ぼくはこれからも自分を選び、自分の人生を選んでいきたい。
そして自分の生き方を選ぶことができなくなる前に、自分が望む最期を選びたい。
それがぼくという人間が生きた証になるのだ。
私たちはなんだって選べること。
希望の光のような言葉をかけてもらった気持ちになりました。
幡野さんの芯の強さを感じました。
どんな状況になったって私たちは「選べる」んだ。
今を生きるということは、その時その時の最善の選択を「自分」で決めることなんだと感じました。
この本はたくさんの人に読んで欲しいです。
そして私たちはどんな状況も「選べる」んだよ。ということを知ってほしいです。
私自身も、この本を読もう!!と、選びました。
選んでよかったです。
幡野さんありがとうございました。
過去に読んだ幡野さんの本はこちらです。
引用文は全て、幡野広志さん著書「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」ポプラ社より
最後まで読んでいただきありがとうございました。